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ダルマの目はどちらから?
ダルマの点睛

 神社寺院では正月になるとよく「ダルマ」が見られます。ダルマは禅宗の祖といわれる「達磨大師」を模したものです。達磨大師は南インドで国王の第三王子として生まれた5世紀後半から6世紀前半の人で、中国で仏教を布教した僧侶だといわれます。
 鎌倉時代に日本に伝わった禅宗では達磨大師を重要視し、大師を描いた掛け軸や札を仏像のように用いますが、この達磨大師には壁に向かって座禅を九年行って手足が腐ってしまったという伝説があり、手足のない形で置物が作られるようになったようです。
と、すれば仏教に深く関係があるわけですから、神社でダルマを見かけるのもおかしなものですが、日本人はそんな原理主義的な考え方をしませんから、現在では禅宗でも真言宗でも神社でも、参拝者に人気があれば扱っています。

 ダルマは特に勝負事に関する縁起物として人気があります。受験や試合、選挙のときにも良く見かけると思います。
一般にダルマは赤く塗られますが、古代から、火や血の色である赤には特別な力があり、病気や災いを防ぐ魔除けの効果があると信じられてきました。ダルマの赤もその影響を受けていると考えられます。

 ダルマには通常「目」が入っていません。当宮でもお正月に「ダルマの目はどちらから入れるのが正しいのですか?」と良く尋ねられます。皆さんはダルマを買ったときどちらから目を入れるでしょうか。
 全国生産の80%のシェアをもち170万個を生産する「上州だるま」とも呼ばれる群馬県高崎の「高崎だるま」は、「最初に左目、願いが叶ったら右目」
埼玉県越谷市の「越谷だるま」は「武州だるま」とも呼ばれ、「色白・鼻高・福福しい」という特徴があり、川崎大師や柴又帝釈天など関東一円をはじめ全国に出荷され、年間約40万個のだるまが生産されています。越谷では「最初に左目、願いが叶ったら右目」
神奈川県平塚の「相州だるま」でも、「最初に左目、願いが叶ったら右目」ですが、選挙のときは「最初に右目、願いが叶ったら左目」です。
伊豆の達磨寺では、商売繁昌・家内安全・健康祈願・学業成就・厄除祈願・安産祈願・交通安全は「最初から両目」。病気平癒・合格祈願・就職祈願・良縁祈願・選挙当選は「最初に右目、願いが叶ったら左目」と言っています。
 
どうも一般的には「最初は左、満願で右」、選挙では「最初は右、当選で左」が多いようです。
間違いやすいのは、「右目」・「左目」というのがダルマにとってのことなので、「最初は向かって右、満願で向かって左」が憶えやすいと思います。

これは、「向かって右が上手」とか、「右に出る者はいない」という言葉があるとか、席は向かって右が上位とされることに起因しているという説もありますが、どうもはっきりした決まりはないようです。
目入れは「無い目玉を描き入れる」のではなく、「心の目の開眼・入魂を表現した」ことだとされます。目を入れることを「点睛」というのも同じ意味です。
 高崎では、願いが成就したときに、次は一回り大きなだるまを勧め、成就しなかったときには、もう一度同じ大きさのだるまを勧められるようです。
その他、仙台の松川だるま、奥州白川の白河だるま、東京だるま、多摩だるま、大分竹田の姫だるま、富士市の鈴川だるまなどが見られ、1月から3月にかけて全国で盛んに「だるま市」が開かれていますが、なぜか関東以北が殆どで中部地方以西ではあまり見られません。

 なお、お正月に一抱えもあるような大きなダルマを「お返し」にいらっしゃる方がありますが、当宮でお渡ししたものではありませんので、どうぞ「頂いた」ところへ「お返し」下さいますよう宜しくお願い致します。焼納するのも本当に大変です。

ところで一昨年、「だるまの目入れは差別か」という議論が話題になったことがあります。
「なにそれ?」と感じられると思いますが、ある視覚障害者団体から「ダルマに目を入れて選挙の勝利を祝う風習は、『両目があって完全』という偏見意識を育てることに繋がりかねない」というクレームがあり、選挙事務所からダルマが姿を消しつつあるそうです。
「考えすぎ」「そんな意図はない」と思うのが普通だと思いますが、ダルマに目を入れるという習慣が差別や偏見に当たるなら、「キーボードのブラインドタッチ」や「君の目は節穴か」「手を焼く」「手に負えない」「足を運ぶ」「足並みをそろえる」のような、手や足を使った慣用句も「差別」になりかねません。
「何でもかんでも配慮すれば良い」とか、「不快だ」と言えばなんでも通用する風潮こそおかしいと思います。

ダルマの話が変な方向へいってしまいましたが、当宮の「ダルマ絵馬」を受けられて願いを叶えられますようお祈り致します。
(2014年1月)
(宮司からの託け)

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