Home 雑感〜宮司からのことづけ 目次

鏡餅は食べるものでは無い?

***   お米は神様からのプレゼント   ***

1月11日は鏡開きです。
年末に、じき来たる歳神様をお迎えするためにお供えし一年の無事息災を祈ります。
11日になればお餅を下ろし、歳神様からの頂き物として有難く食します。
神様にお供えしたものはすべて神気(しんき〜神様の力)がかかり、それを食する事を神人共食(しんじんきょうしょく)といいます。これによって人は神と一体になり、人は生命力を取り戻す事ができます。
特にお米は、天照大神より人々の生きて行く糧として高天原の稲穂を授けられたものです。
謂わば命の源です。

ところが小正月(1月15日)を迎える頃になると、レジ袋に鏡餅を入れて神社へ持ち込む人が沢山います。
何故お餅を食べずに処分しようとするのでしょうか。
全く理解できません。

もしかすると、鏡餅は単なるお正月飾りで食べるものではないと思っているのでしょうか。お餅は食べ物だという事を知らないのでしょうか。
あまりにも悲しい心情です。

中には「神社に餅を供えて何が悪い」という人がいました。
お供えするならお正月前にして頂きたい。
しかもレジ袋の中を見るとカビだらけのパックになった鏡餅。1年以上前に購入したものなのは確実。
それでも、生ゴミとして処分するのが何となく気が引けて神社へ持ってくるのでしょうか。
理解できません。
神社はゴミの処分場ではありません。

そんな行いをしている事自体が既に神様から見放されている事の証明です。
今年のあなたに絶対に良い事などありません。


実は今、神社に持ち込まれる物が悲惨な状態になっています。
お餅だけではなく、ぬいぐるみ、教科書、ノート、画用紙、写真、陶器、プラスチックの人形、眼鏡。果ては仏壇、位牌等々、何でも。
どうやって処分すれば良いのでしょう。
神社は廃棄物処分場なのかと悲しくなります。


昔は、どんど焼き・とんど・左義長等といって、村々では冬場に空いている田畑で松飾りや注連縄を焼く行事が日本中で行われていました。
考えて見て下さい。春になれば自分達がそこで作物を育てる場所で不燃物を燃やすでしょうか。
プラスチック製品を燃やすでしょうか。
金属が混じった物を燃やすでしょうか。
陶器を燃やすでしょうか。
生ゴミを燃やすでしょうか。
絶対にそんな事はしません。

燃えているどんどの中に何でも投げ入れればOKだと、いつから思い出したのでしょうか。現在、殆どの物に化学素材が混入しています。当然、注連縄にも混入しています。
第一、松飾りや注連縄は神社が授与した物ではありません。
神社で燃やさなければいけない理由がありません。
販売者が廃棄責任を持たないのでしょうか。

普段は「ダイオキシンが発生するから野焼きは絶対ダメ」、「野焼きの灰で車や洗濯物が汚れるから絶対ダメ」といっている人が、正月になると何でもどんど焼きに投げ入れるのは何故なんでしょう。


神社にとって小正月は悩みの時期でもあります。
(宮司からの託け)

→ご意見